サンパウロ日本人学校 |
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1990年、この年の4月に次男が小学校(日本人学校)に入学なので、お古の机を貰いうけ長男のお古のランドセルを使わせ、従兄弟のお古のジャケットを用意し、準備万端整いました。
お古だらけでちょっと可愛そうな気もしましたが、本人は大はしゃぎで、入学式のリハーサルをしてみたり、ひらがなを教わったり、帰国間近い祖父母にべったりと甘えていました。
二人の息子は共に日本人学校に通いましたが、何しろ遠いのです。
車で30〜40分。
毎朝7時頃、アパートメントの前にスクールバスがやって来ます。 それに乗り遅れると車で送っていくか、休まなければなりません。
「一人で勝手に行ってらっしゃい」と言うわけにはいかないのです。
学校周辺は治安が少々悪く、周囲を高い塀で囲んでいます。
私達が赴任した当時は夜毎泥棒が入り、翌朝登校してみると教室の時計が無い! 子供達の教材が無い! ひどい時は、オルガンが盗まれた事もあると聞きました。
その様な状況を打破する為に、ドーベルマンを2匹番犬用に飼う事になりました。
昼間は檻に入れているのですが、どうしたことか? ある日 その檻を抜け出し休み時間で外を駆け回っている次男達のところを襲撃してきたのです。 幸いすぐに取り押さえられたので、怪我人を出さずに済みましたが…
その1〜2年後、やはり次男達の授業中の教室に、どこからか流れ弾が窓ガラスを割って飛んできたこともありました。
日本では考えられないような危険が、常に身の回りで起きているのです。もっとも最近の日本もかなり怖いことだらけですが…
治安が悪いが故に、ご主人方が家族を守るという形が自然と作られていきます。
週末のスポーツクラブで家族単位で過ごす姿は珍しくなく、夕食時には家族揃って外食する光景が当たり前のように見られます。
家族が一つに纏まる事で、治安の悪さを克服していると言えるのではないでしょうか。
仕事に追われていた主人が家族と正面から向き合うようになったことが、成長期の子供達に大きな影響を与えたと言えます。
そうした環境の中で、私達親子は知らず知らずにのびのびとゆったりとした時間を過ごしていたのかもしれません。 |
18/04/2001 |
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