世界の旅 ⇒ 子供達の海外生活 |
駐在員の子供達の殆どが通う「むつみ幼稚園」です。東洋人街の「ガルボンブエノ通り」の近くに在ります。 1枚目は「フェスタ・ジュニーナ」というお祭りの模様。2枚目は学芸会です。 皆、麦藁帽子をかぶって…あの頃は可愛かった… |
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サンパウロ日本人学校・・・航空写真による学校の全景です。 |
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第2体育館です。↓ ちなみに、第1体育館は入学・卒業式等を行う普通の体育館です。昼休みなどここでサッカーやバスケをしていたようです。 | |
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学校の敷地内には森があり、1.5キロのマラソンコースが取れるそうです。 2枚目は教室から教室への移動の様子です。 気持ちがのびのびしてくるのがわかります。 |
小・中学校合同の運動会。 高学年と中学生の応援団が一生懸命声を張り上げエールを送っています。 400mトラックが悠に取れるグラウンド。東京では羨ましい限り… グラウンドの左手奥はテニスコート(写真2枚目) |
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写真左は、下校時の様子です。ここはスクールバスの乗り場になっています。 生徒達を乗せてこれから市内へ向かいます。 帰宅までにおよそ40分から1時間かかりますから、子供達もなかなか大変です! 写真右は、サンパウロ唯一の学習塾! 中学校へ進むとかなりの子供達が受験準備で入塾します。 夜道は危険極まりなく、帰りは車でお迎えに…それも私の大事な仕事でした。 | |
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日本人学校のサッカークラブとは別に、毎週土曜、ブラジル人コーチの下で練習に励む 「MUSASHI FUTEBOL CLUBE」 があります。 ブラジルサッカーに少しでも触れる良い機会だったと思います。 |
試合に行った時記念に写したものです。 後ろに見えるのが「パカエンブー競技場」→ この競技場は、プロの試合も行われるところです。 毎月のようにあちこちのブラジルチームと試合を重ねてきました。トーナメントで優勝した事もあるのですよ! 2枚目はプレー中の様子を撮りました。 |
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「MUSASHI Jr.」 のチビッコ達です。 当時はこの 「Jr. チーム」は存在しなかったのですが、次男の気持ちに押され、ここは母親の出番とばかり一念発起して、このチームを友人と二人で作ってしまいました。 コーチ捜しからのスタート…結構苦労しました。 親バカと笑って下さい!! |
まるで大学のキャンパスのように広く、緑豊かなサンパウロ日本人学校 ! しかし、この敷地の周りは3〜5m近くある塀で囲まれています。 正門には警備員が常駐し、分厚い門が学校内部を全く覗かせません。 用事が有って学校へ行く時は、身分証明書を提示しないとこの門は開きません。 これほど厳重にしていても、夜中に泥棒に入られたりします。 そのような環境でも、子供達はのびのびと学校生活を送り、先生方も非常に生き生きと教鞭をとっていられたように思います。 | |
この日は中学校の入学式。→ 中学部の生徒はそれほど多くありません。 ブラジルと日本の国旗が二つ並んでいます。 国歌も両方演奏していました。 どちらが先だったかは覚えていません! |
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駐在員家族ばかりの環境では、子供達の世界にも出会いと別れが毎年
繰り返されます。 見送る度に寂しい思いをし、新しい出会いに心輝きます。
息子達もそのような想いを数多く経験し、やがて友人らに見送られながら
ブラジルを後にしました。 あれから8年余りが経ちますが、今でも
彼らは日本中に友を持ち、その糸は途切れることはありません。
ブラジルが彼らに与えたものは、何にも変え難い、素晴らしい財産
としていつまでも残っていくことでしょう・・・
「オアシスを求めて」より ・・・ 第9話 「サンパウロ日本人学校」